[590] 大切な区別の基準は、「金儲けや資産形成 が悪なのではない、過度の強欲な金儲けと拝金が悪なのである」という原理的な判断である。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2007/06/22(Fri) 06:09:51

副島隆彦です。以下の文は、3日前に書いたものです。以下のことは、人類にとっての、大きな思想上の善悪の区別の基準(クライテリオン、 criterion )であり、今後、私が何十度でも、何百度でも書いて、万人に向かって明確にしなければならない、知識・思想研究・学問における「人間の為して良いことと、悪いこと」の重要な判断基準である。

以下の文は、私が、弟子のひとりに向かって、3日前に書いたメール文章の一部である。  副島隆彦記

(転載貼り付け始め)

****君へ
2007年6月19日

副島隆彦から
(略)

 今日は、君にどうしても書いて伝えておきたいことがあって、これから簡略に書きます。

SNSIの弟子たち全員にも、どうしても、急いで、知らせたいことです。それは、私、副島隆彦が研究した人類にとっての大きな思想研究の最先端での理解です。

私たちは、金儲け、そのものの否定をしてはいない。健全な金儲け、資産作り、営利活動そのものは、正当なまっとうな人間のすることであって決して嫌(いや)がったり嫌悪(けんお)したりしてはならない。金儲け(商業活動、会社経営、営利活動、利殖、蓄財、営利活動、商業、実利追求)を、私たちは否定しない。 それらの活動は、人間にとって、自然なものであり、大切なものだ。

 これと併せて、素朴な先祖崇拝と、素朴で温和な民族主義(愛国心、尊王思想)と、一族繁栄(近親者、血縁者)と知人・友人の健康と安全を願うことは人間にとって大切な自然行動である。

 私たちは、金儲けや資産家になることを否定して、何でもかんでもユダヤ人の所業だと言って、ののしり、唾棄し否定するのではない。

 私たちが思想研究してきた、ユダヤ思想(ユダヤ教)と激しく対立する、イエス・キリストの教え(キリスト教)、と イスラム教の教えも営利活動を否定したり軽蔑したりしない。イスラム教の教祖(予言者、創業者)のムハンマド(マホメット)ももともと商人です。アラビア砂漠を隊商(たいしょう)を組んで移動したベドウィン族の出身でしょう。 ですからイスラム教も商業活動、営利活動そのものをするわけがない。営利活動と営業活動と蓄財は、人間にとって健全な行動です。

 いけないのは、過度の、強欲な営利行動である。過度で強引で、策略的な営利活動は、まわりのひとびとを苦しめる、万人が否定すべき人間行動の類型だ。 まわりの人を騙したり、脅(おど)したり、いじめたりして、それで自分が大きな儲けを作る、というのが、いけないのであり、否定すべきことなのです。 そのことを、これまで私はあまりはっきりと書かなかった。ですから今日、君に向かって、君を代表にしてこうして弟子たち全員に、明瞭、明晰、明確に書いて置きます。

私が、これまでこの重要な判断基準を、はっきり書いてこなかったので、私の本の読者たちにも少し誤解を与えてきたのではないかと、先日、はっきりと自覚しました。このことを、学問道場でも、そのうち明確に書かなければならないと、思いました。

 人間の悪行(あくぎょう、仏教でなら悪業=あくごう=)として強く否定すべきなのは、過度の行過ぎた、強欲行動と、異常なまでの拝金と、それから守銭奴の金銭崇拝であり、これらがいけないのだ、と私はようやくのことで、54歳でやっとのことで分かりました。自分の頭の中で、この重要な区別基準をつけることを、これまで少し曖昧(あいまい)にしてきたようである。

 だから私の本の読者で自営業者や経営者、投資家、資産家の一部が、私の金融・経済本は喜んで読んでくれるのだが、知識と思想研究の本になると、怪訝(けげん)そうな顔をして、私の本から離れたのかもれない。このことに気づきました。

 人間にとっての、健全で穏やかな、産業資本(物づくり)とその販売を背景にした経済活動は、本来的に良いものなのです。営利活動や、自由な商業活動は、徹底的に擁護され、制度、政治体制としても、高く尊重されるべき人間行動である。
それを、官僚という、金融ユダヤ人(カナーン人)とは別の種類の強欲人間たち、これらは、本質的に、国家の僧侶階級(ジュズイット)であり、ひたすら自分たちのための税金盗(と)りを目的とする、国家に寄生する国家強盗団であり、国家の宦官(かんがん)である者たちによる一切の付け狙い、と諸法律と言う名の、彼ら、官僚が、政治家(国民の代表、議員)たちが忙しいことを良いことにして、勝手につくる、民衆への強制、統制のすべてを排除して、「それらの法律には、正義は無い。神官どもであるパリサイ人(びと)=ペリシテ人(じん)たちによる、民衆支配の騙しの法律群だ。それらを見抜いて、徹底的に否定して、これらと闘い、私たちは徹底的に自由でなければならない。

私たちは、だから過度の強欲を実践する金融ユダヤ思想と、国家の寄生虫(パラサイト)である国家官僚族という、2種類の敵を、正面に見据えて、彼らとの生涯にわたる闘いを続けなければならない。彼らの人間類型(イデアルチップス)はなかなか手強(ごわ)い。人類に寄生した根本的な悪だからだ。

 だから、私たちが、否定し糾弾すべきは過度の強欲行動と過度の行過ぎた拝金主義である。

 国際金融資本家たち(金融ユダヤ人)は、1998年10月から、旧長銀(ちょうぎん、現新生銀行)の乗っ取りを皮切りに日本の銀行・証券、生保、その他の大企業を乗っ取りに来た。このNYの強欲ユダヤ人ども(総帥、デイヴィッド・ロックフェラー)は、「自分たちは、市場で売っているものを、市場価格で正当に買っているだけだ。何もおかしなことはしていない」 と言い張る。

 しかし、彼らは、「おかしなこと」をやっている。人間としてやってはいけない、あまりもの阿漕(あこぎ)なことを今も、日本まで来て、あるいは、世界中の国々に入(はい)り込んでやっている。彼ら極悪人どもがやったことは、たとえば旧長銀乗っ取りの時にやったのは、以前は、一株2千円ぐらいした(20年前なら5千円した)長銀の株価を、計略的に「この会社は、すでに債務超過だ」として、外資の証券会社が、示し合わせて(共同謀議、コンスピラシー、相場操縦)で、一斉に信用カラ売りにしてた暴落させた。1998年11月のことである。そして、しまいには、一株50円割れというような、額面割れ(額面は50円とかつては決まっていた)の見るも無残な、みじめな株価にした。そして今度は大量に買い込んで、そして乗っ取った。

同時に、日本政府の実力政治家たちを暗に脅しあげて、公的資金(長銀一行だけで7.5兆円もの巨額)を投入をすることを前提にして国有化させて、そのあと、自分たちに「払い下げ」させた。このような、ものすごくあくどいことを彼らはやったのだ。そして、デイヴィッド・ロックフェラーとその子分どもは、日本人の子分ども(小泉龍一郎や竹中平蔵が代表)を上手に使って、自分のものにして今の新生銀行にした。

どこが、フェア・トレーダー(公正な取引者)だ。どこが、まっとうな商業活動だ。 私、副島隆彦は、ここで怒る。そのことを、1998年5月刊の「日本の危機の本質」(講談社)と同年7月刊の「悪の経済学」(祥伝社)で、当時から、誰よりも早く、自覚的に明確に、この大きな悪事を公然と指摘して、書いてきた。違うのか。

やっぱり、日本の大企業の乗っ取り屋たちは許せない。彼らの歪(ゆが)んだ理屈は、粉砕されなければいけない。 

 私は、とりたてて日本の企業の擁護者ではないが、日本の国益の擁護者である。だから、日本の大企業を、上記のような奇計と策略で乗っ取って、それを、盗人猛々(たけだけ)しく、自分たちは強欲人間ではない、市場経済を信奉している フェアな取引者だ、と強弁(きょうべん)している。この欺瞞(ぎまん)の理屈を徹底的に暴きたてて、糾弾しなければいけないのだ。そのことを私たちはずっともう8年もやってきた。

 ですから、それに対して、自然で健全な営利活動と金儲けと資産形成を
大切な人間行動であり、これらの活動に生来、向いている人は積極的に行うべきだ。しかし、これとは異なる、異常なまでの強欲な行動との区別を私たちははっきりとつけなければならないのである。ここに、私たちの知識・思想・学問研究における、大きな善悪判断の基準(クライテリア、criteria )を持たなければならない。そのように、今回、私ははっきりと分かりました。 私たち、日本人は、ここの明確な区別の基準のところで、態度をあいまいにしてきたので、それで大きく騙されてきたのだ。私、副島隆彦が、国家戦略家(こっかせんりゃくか、ナショナル・ストラテジスト)としても、ここの大きな判断基準を、真っ先に明確にしなければいけないのである。

 私自身が、この8年間の時間をかけて、ラチオ(合理)、リーズン(理性)の本態がユダヤ思想の中心・根本であり、ここに 強欲、拝金の思想が横たわっているのだ、と大きく深く解明してきたのだが、それを、一般の正当な商業、営利活動、資産防衛の肯定との比較で、これまで、区別をはっきりつけなかった。そのことが、敵どもと渡り合う上での、自分たち東アジアの原住民(日本部族、ジャパン・トライブ、Japan tribe )の弱点であったと、まず私が率先して反省しているのです。

 キリストの教えでも健全な営利活動は認めている。それを彼の弟子だと名乗ったカトリックの僧侶(プリーイスト)たちが、自分たちが神官化するにつれて腐敗して、その腐敗を覆(おお)い隠(かく)すために、今度は、過度に潔癖な振りをして、今度は、「清貧(せいひん)と貞潔(ていけつ)の誓(ちか)い」(イグナチス・ロヨラとF・シャビエルらのモンマルトルの丘でのイエズス会の結成の誓い)などと、人間の自然な性欲まで否定して見せた。倒錯(とうさく、パーヴァージョンド、perversioned )した馬鹿な連中だ。

同じく、アジアの仏教の坊主たちも、創業者のお釈迦(ゴータマ・ブッダ)は、そんなことは何も言っていないのに、勝手に「肉食妻帯の禁戒律」を作った。守れもしないくせに、それを守っている振りだけした。お釈迦様は、ただ、「いつも清浄に清潔にしていなさい」と衛生学(えいせいがく)の基本を解いただけだ。40歳ぐらいで出家(しゅっけ)してひたすら修行(しゅぎょう)して、高度の精神的な集中を行う人間になる、と決めるまでは、奥さん、子供がいてもいいのである。 

これに対して、中国人の道教(タオイズム)は当然、はじめから自然な営利活動を認める。先祖崇拝と、一族の繁栄(近親者、友人たちを含める)を素朴に願うことを大切にする思想だ。道教は、気(Qui、キ)の元(もと)思想を説き、霊魂を認める。幽界、霊界、仙(人の世)界を認める。

キリストの教え(本来のあるべきキリスト教)・イスラム教と、ユダヤ教の対立点が、これで明確になった。

あとは「金利を取ること」をどう考えるか。そしてとりわけ高金利(ユージュアリー、usuary )を肯定すべきか否かを、これから私たちは考えなければならない。ベンサマイト(Benthamite ジェレミー・ベンサム主義、 ポジティブ・ラー positive law 、人為の正義の法 )の思想の問題を、再度、突き詰めなければならない。

 それで**君が、「企業は、その企業を大きくした創業者のものである。公開市場で、その会社(企業)の株式を計略的に、乗っ取ろうとする者たちのものではない」という、先の『日本の真実』での主張を、私も改めて肯定し、賛成すべきなのだ、ということが分かりました。このことを、どうしても、君に伝えたかった。

 あとは、上記の私の考えを、祥伝社の**君が、今度、秋に出る本のどこかに書かせてくれるように文章を整除してくれるように頼みます。これで私の頭(思考)がすっきりしました。 副島隆彦拝

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝


[589] 国際連合監視検証査察委員会が6月末で解散 投稿者:会員番号1259 投稿日:2007/06/19(Tue) 20:20:59

会員番号1259です。
国際連合監視検証査察委員会が、大量破壊兵器(WMDs)を発見する事も無いまま解散するそうです。イラクには大量破壊兵器(WMDs)があると党の機関紙で宣伝をしていた自公政権や「ポチ保守」評論家たちは、何事もなかったかのように今日もテレビに出演しています。けっして善人ではないと思いますが、処刑されたサダム・フセインが哀れです。

「Star-Telegram.com」から転載します(訳は仮のものです)。

(転載開始)

Posted on Sat, Jun. 16, 2007

U.S., Russia: Iraq had no WMDs
米国,ロシア:イラクは大量破壊兵器を保有していなかった

By BILL VARNER
ビル・ヴァーナー

Bloomberg News
ブルームバーグ・ニュース

UNITED NATIONS -- The U.S. and Russia have agreed to dismantle the U.N. agency that searched Iraq for weapons of mass destruction and affirm that Saddam Hussein's government had no such arms at the time of the American invasion in March 2003.
国連(連合国) -- 米国とロシアは、ある国連機関を解散する事に合意した。その国連機関は、イラクに大量破壊兵器(WMDs)が存在するか検査し、サダム・フセインの統治したイラク政府は、2003年3月に米国が侵攻した時点において、大量破壊兵器(WMDs)を保有していなかったことを確認した。

The Security Council will adopt a resolution the last week in June to close the U.N. Monitoring, Inspection and Verification Commission, created in 1999 to search Iraq for biological and chemical weapons, Belgian and British diplomats said. The measure will also end the U.N. nuclear watchdog agency's mandate to look for nuclear arms in Iraq.
国連安全保障委員会は先週、6月末で、国際連合監視検証査察委員会(1999年、イラクに生物化学兵器が存在するか検査するために設立された)を解散する決議を採択したと、ベルギーと英国の外交官が述べた。この決議は、国連の監視機関がイラク国内で核兵器の有無を検査する権限を失った事も意味している。

U.N. inspectors found no banned weapons before or since the invasion.
国連監査官たちは、侵攻の前にも後にも大量破壊兵器(WMDs)を発見できなかった。

Feisal al-Istrabadi, Iraq's deputy ambassador to the U.N., said his country is "still dealing with the residue of having been a pariah state" and called the resolution a "huge symbolic step that will show we are taking steps forward to be reintegrated in the community of nations."
ファイサル・アル-イストラバディ国連代理大使は、この決議はイラク国家の再統合への象徴的なステップであると述べている。

He said adopting the U.S.-drafted resolution would be a prelude to lifting all U.N. sanctions imposed on Iraq during Saddam's reign.
米国の素案には、サダム・フセイン政権下で課した全ての国連制裁の解除を前提したものであった。

The Bush administration's justification for invading Iraq and toppling its government was the alleged threat posed by Iraq's weapons of mass destruction.
イラク侵攻に関するブッシュ政権の正当化とイラク政府の転覆は、イラクによる大量破壊兵器(WMDs)という見せかけによる確証ない脅威だった。

Iraq has complained about paying $50 million since the invasion to maintain the agency, known as UNMOVIC. The agency, which withdrew the inspectors before the war, employs 34 people and prepares quarterly reports to the Security Council.
イラクは、侵攻により発生した国際連合監視検証査察委員会の維持費用である5千万ドルの支払いを訴えている。

An annex to the proposed resolution will include a letter from Iraqi Foreign Minister Hoshyar al-Zebari pledging that his government won't develop WMDs.
提出された決議の添付資料には、イラク外相ホシャル・アル-ゼバリがイラク政府は大量破壊兵器(WMDs)を開発していないと誓約した手紙も含まれている。

Online: www.unmovic.org

http://www.star-telegram.com/279/story/139036.html

(転載終了)

国際連合監視検証査察委員会 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%80%A3%E5%90%88%E7%9B%A3%E8%A6%96%E6%A4%9C%E8%A8%BC%E6%9F%BB%E5%AF%9F%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A


[588] 金融市場の今後について 投稿者:アルルの男・ヒロシ 投稿日:2007/06/19(Tue) 11:25:04

「584」に、1259さんの貼り付けた、カナダの反グローバリゼーション派のジャーナルのコラムに気になる記述があった。

(引用開始)

Other writers with less prestigious platforms than the Post have been talking about an approaching financial bust for a couple of years. Among them has been economist Michael Hudson(マイケル・ハドソン), author of an article on the housing bubble titled, “The New Road to Serfdom” in the May 2006 issue of Harper’s. Hudson has been speaking in interviews of a “break in the chain” of debt payments leading to a “long, slow economic crash,” with “asset deflation,” “mass defaults on mortgages,” and a “huge asset grab” by the rich who are able to protect their cash through money laundering and hedging with foreign currency bonds.

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=5964
(引用終わり)

マイケル・ハドソンというのは、徳間書店から邦訳も出ている以下の本を出した人物。内容は、副島系金融本で書かれている内容と同様の「ドル紙切れ体制」の批判。それを専門的に行っている本です。

超帝国主義国家アメリカの内幕
[原書名:SUPER IMPERIALISM : THE ECONOMIC STRATEGY OF AMERICAN EMPIRE〈Hudson, Michael〉 ]
ISBN:9784198615208 (4198615209)
387p 19cm(B6)
徳間書店 (2002-05-31出版)

この人物は、「ハウジング・バブルの支払いが滞った結果、モーゲージ市場が崩壊するが、それで苦しむのは一般のアメリカ人であり、大金持ち達が、その下落した資産をがばっと買い占めるだろう。こういう奴からはマネロンやら隠し資金をして資産をしっかり守っているから。住宅バブル崩壊は、新しい“隷従への道”だ」と語っている。

次に彼は、

(引用開始)

Among those poised to profit from the crash is ★the Carlyle Group★, the equity fund that includes the Bush family and other high-profile investors with insider government connections.

A January 2007 memorandum to company managers from founding partner William E. Conway, Jr., recently appeared which stated that, when the current “liquidity environment”—i.e., cheap credit—ends, “the buying opportunity will be a once in a lifetime chance.”

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=5964
(引用終わり)

「この種の相場の下落で儲けることが出来るのは、カーライルのような投資ファンドだろう。このファンドの人物は、「もうすぐ100年に一度の好条件で資金を調達できる時期が終わる」2007年一月の記事で述べている」とある。さらに引用。

(引用開始)

The fact that the crash is now being announced by the Post shows that it is a done deal. The Bilderbergers, or whomever it is that the Post reports to, have decided. It lets everyone know loud and clear that it’s time to batten down the hatches, run for cover, lay in two years of canned food, shield your assets, whatever.

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=5964
(引用終わり)

そのような宣言を、ビルダーバーグと連絡を取り合っている、ワシントンポスト(注:ビルダーバーグ会議には、ポスト社の社主のグラハムが参加している)が報道することは、この話が真実みがあるということを表している、とカナダの反グローバリストは書く。

そこで、18日に登場したのが、「587」に貼り付けた、ビルダーバーガーの投資会社経営者「クラドラングルLLC」のパートナーであるスティーブン・ラトナーの文章である。その名も「迫っている信用崩壊」。これはWSJ.comの記事だが、全文はhttp://www.quadranglegroup.com/sr_news.htmlで見ることが可能。

(引用開始)

The bigger -- and harder -- question is whether the correction will trigger the economic equivalent of a multi-car crash, in which the initial losses incur large enough damages to sufficiently slow spending enough to bring on recession, much like what happened during the telecom meltdown a half-dozen years ago.

But we have little choice but to sit back and watch this car accident happen. It would have been a mistake to dispatch the Federal Reserve to deflate the dot-com mania or the housing bubble. And it would be a mistake now for the Fed to rescue imprudent high-yield lenders. They have to learn the hard way. Hopefully, not too many innocent bystanders will share their pain.

http://online.wsj.com/article_print/SB118212541231038534.html
(引用終わり)

ラトナーは、「この相場の変動(コレクション)で、一体何が起きるか、大規模な玉突き事故のような被害が連鎖的に生じて、リセッションに、これまでのように突入かどうか、これが大きな注目点だろう。しかし、それを私たちは、黙って何が起きるか見守るのが良い。くれぐれも、FRBがバブルつぶしを行ったり、信用力の悪い貸し手を救済したりしてはいけない。バブルに踊った人たちは、厳しいやり方で教訓を学ぶべきだ。願わくは、バブルに踊らなかった善良な傍観者たちに被害があまり及ばないことを」と締めくくっている。

対する、カナダの反グローバリストの方は、バブルつぶしではないが、FRBが金利を下げて信用を供給しないことを不審に思っているようだ。

(引用開始)

Key to what is going on is that the Federal Reserve is refusing to follow the pattern set during the long reign of Fed Chairman Alan Greenspan in responding to shaky economic trends with lengthy infusions of credit as he did during the dot.com bubble of the 1990s and the housing bubble of 2001-2005.

This time around, Greenspan’s successor, Ben Bernanke, is sitting tight.
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=5964
(引用終わり)

これまで、数ヶ月に渡って、住宅バブルは危ない、危ないとおおかみ少年のようになってきたメディア。それにうんざりしてきた読者。

しかし、数ヶ月という時間は、長期的視点でみれば一瞬でしかない。

次の不況は、1929年型(最悪)なのか、それとも1987年型(それほどでもない)なのか、2000年型(それほどでもない)なのか。それを予測することが求められていると言っていいが、私にはよく分からない。


[587] Re[584]: 6月13日は米国経済の崩壊を正式に認めた日らしい 投稿者:アルルの男・ヒロシ 投稿日:2007/06/19(Tue) 10:43:32

会員番号1259さんへ

これが何を意味するのか分かったら教えてください。
WSJ.comから。


(貼り付け開始)

The Coming Credit Meltdown
By STEVEN RATTNER
June 18, 2007; Page A17

The subprime mortgage world has been reduced to rubble with no lasting impact on another, larger, credit market dancing on an equally fragile precipice: high-yield corporate debt. In this fast-growing arena of loans to business -- these days, mostly, private equity deals -- lending proceeds as if the subprime debacle were some minor skirmish in a little known, far away land.

How curious that so many in the financial community should remain blissfully oblivious to live grenades scattered around the high-yield playing field. Amid all the asset bubbles that we've seen in recent years -- emerging markets in 1997, Internet and telecoms stocks in 2000, perhaps emerging markets or commercial real estate again today -- the current inflated pricing of high-yield loans will eventually earn quite an imposing tombstone in the graveyard of other great past manias.


In recent months, lower credit bonds -- conventionally defined as BB+ and below -- have traded at a smaller risk premium (as compared to U.S. Treasuries) than ever before in history. Over the past 20 years, this margin averaged 5.42 percentage points. Shortly before the Asian crisis in 1998, the spread was hovering just above 3 percentage points. Earlier this month, it touched down at a record 2.63 percentage points. That's less than 8% money for high-risk borrowers.

So robust has the mood become that providers of loans now rush to offer "repricing" at ever lower rates, terrified that borrowers will turn to others to refinance their loans, leaving the original lenders with cash on which they will earn even less interest. Between Jan. 1 and April 19, $115 billion of debt was repriced, representing 29% of all bank loans in the U.S.

The low spreads have been accompanied by less tangible indicia of imprudent lending practices: the easing of loan conditions ("covenants," as they are known in industry parlance), options for borrowers to pay interest in more paper instead of cash, financings to deliver large dividends to shareholders (generally private equity firms) and perhaps most importantly, a general deterioration in the credit quality of borrowers.

In 2006, a record 20.9% of new high-yield lending was to particularly credit-challenged borrowers, those with at least one rating starting with a "C." So far this year, that figure is at 33%. No exaggeration is required to pronounce unequivocally that money is available today in quantities, at prices and on terms never before seen in the 100-plus years since U.S. financial markets reached full flower.

Led by private equity, borrowers have rushed to avail themselves of seemingly unlimited cheap credit. From a then-record $300 billion in 2005, new leveraged loans reached $500 billion last year and are pacing toward another quantum leap in 2007.

Even leading buyers of loans, such as Larry Fink, chief executive of BlackRock, say "we're seeing the same thing in the credit markets" that set the stage for the fall of the subprime loan market.

Why should so many theoretically sophisticated lenders be willing to bet so heavily in a casino with particularly poor odds? Strong economies around the world have pushed default rates to an all-time low, which has in turn lulled lenders into believing these loans are safer than they really are. Just 0.8% of high-yield bonds defaulted last year, the lowest in modern times. And with only three defaults so far this year, we've luxuriated in the first default-free months since 1997. By comparison, high-yield default rates have averaged 3.4% since 1970; higher still for paper further down the totem pole.

Like past bubbles, the current ahistorical performance of high-yield markets has led seers and prognosticators to proclaim yet another new paradigm, one in which (to their thinking) the likelihood of bankruptcy has diminished so much that lenders need not demand the same added yield over the Treasury or "risk-free" rate that they did in the past.

To be sure, the emergence in the past 20 years of more thoughtful policy making may well have sanded the edges off of economic performance -- what some economists call "the Great Moderation" -- thereby reducing the volatility of financial markets and consequently the amount of extra interest that investors need to justify moving away from Treasuries.

But to think that corporate recessions -- and the attendant collateral damage of bankruptcies among overextended companies -- have been outlawed would be as foolhardy as believing that mortgages should be issued to home buyers with no down payments and no verification of financial status.

And just as the unwinding of the subprime market occurred at a time of economic prosperity, the high-yield market could readily unravel before the next recession. With the balance sheets of many leveraged buyouts strung taut, a mild breeze could topple a few, causing the value of many leveraged loans to tumble as shaken lenders reconsider their folly.

The surge in junk loans has also been fueled by a worldwide glut of liquidity that has descended more forcefully on lending than on equity investing. Curiously, investors seem quite content these days to receive de minimis compensation for financing edgy companies, while simultaneously fearing equity markets. The price-to-earnings ratio for the S&P 500 index is currently hovering right around its 20-year average of 16.4, leagues below the 29.3 times it reached at the height of the last great equity bubble in 2000.

Some portion of this phenomenon seems to reflect tastes in Asia and elsewhere, where much of the excess liquidity resides: Foreign investors own only about 13% of U.S. equities but 43% of Treasury debt. In search of higher yields, these investors are moving into corporate and sovereign debt. Today, the debt of countries like Colombia trades at less than two percentage points above U.S. Treasuries, compared to 10 percentage points five years ago.

Perhaps the mispricing of high-yield debt has been exacerbated by the surge in derivatives, a generally useful lubricant of the financial markets. Banks hold far fewer loans these days; mostly, they resell them, often to hedge funds, which frequently layer on still more leverage, thereby exacerbating the risks.

Another popular destination is in new classes of securities where the loans have been resliced to (theoretically) tailor the risk to specific investor tastes. But in the case of subprime mortgages, this securitization process went awry, as buyers and rating agencies alike misunderstood the nature of the gamble inherent in certain instruments.

Assessing the likely consequences of a correction is more daunting than merely predicting its inevitability. The array of lenders with wounds to lick is likely to be far broader than we might imagine, a result of how widely our increasingly efficient capital markets have spread these loans. No one should be surprised to find his wallet lightened, whether out of retirement savings, an investment pool or even the earnings on their insurance policy.

The bigger -- and harder -- question is whether the correction will trigger the economic equivalent of a multi-car crash, in which the initial losses incur large enough damages to sufficiently slow spending enough to bring on recession, much like what happened during the telecom meltdown a half-dozen years ago.

But we have little choice but to sit back and watch this car accident happen. It would have been a mistake to dispatch the Federal Reserve to deflate the dot-com mania or the housing bubble. And it would be a mistake now for the Fed to rescue imprudent high-yield lenders. They have to learn the hard way. Hopefully, not too many innocent bystanders will share their pain.

Mr. Rattner is managing principal of the private investment firm Quadrangle Group LLC.

URL for this article:
http://online.wsj.com/article/SB118212541231038534.html

(貼り付け終わり)

コラムの書き手についての経歴を所属する投資会社「クアドラングルLLC」のサイトから引用。

(引用開始)

Steven Rattner is a Managing Principal of Quadrangle Group LLC focused on the firm’s $2.9 billion media and communications private equity business. Prior to the formation of Quadrangle Group in 2000, Mr. Rattner was Deputy Chairman and Deputy Chief Executive Officer of Lazard Frères & Co. LLC. Mr. Rattner founded Lazard's Media and Communications Group and has been involved in many of the largest and most important transactions in these industries. Mr. Rattner, who joined Lazard in 1989 as a General Partner, was previously a Managing Director at Morgan Stanley, where he also founded the Communications Group. Mr. Rattner is active in many philanthropic organizations. He is Chairman of the Educational Broadcasting Corporation (Channels 13 and 21, New York’s public television stations), Chairman of the Budget and Finance Committee and a Fellow of Brown University, and a Trustee of the Metropolitan Museum of Art and the Brookings Institution. In addition, he writes regularly for a variety of publications on economic and public policy matters. Mr. Rattner holds a B.A. with honors in economics from Brown University and was awarded the Harvey Baker Fellowship.

http://www.quadranglegroup.com/rattner.html
(貼り付け終わり)

それから、こういう情報もありました。

(貼り付け開始)

Steven Rattner
From Elitewiki
Jump to: navigation, search
Current Occupation
Board of Trustees, Brookings Institution 2005
Chairmans Advisory Council, Council on Foreign Relations 2004 - 2005

Para Political Activity
Attendee Bilderberg 2006 June 8th-11th
Attendee Bilderberg 2002 May 30th - June 2nd
Attendee Bilderberg 2001 May 24th-27th
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(貼り付け終わり)

自分たちは既に逃げる算段を済ませている?ということなのでしょうか。


[586] 中村元の「私の履歴書」を紹介する(1)戦前編 投稿者:菊地研一郎(2555) 投稿日:2007/06/19(Tue) 06:59:33

会員の菊地研一郎です。この投稿では仏教を扱います。

日経ビジネス人文庫でインド思想史の中村元の「私の履歴書」が発売されました。
この文庫本の発行日は2007月1日ですが、
元の記事が日経新聞に掲載されたのは1985年5月です。

まず、前説明として、副島隆彦が中村元に言及している文章を、
この重たい掲示板から引用して貼り付けます。

(引用貼り付け開始)

[488] 私は、インド、ネパールの旅から帰ってきました。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2007/03/08(Thu) 19:37:46

横山全雄(よこやまぜんのう)老師へ
2007年3月8日

 ……

やはり、日本では中村元(なかむらはじめ)が訳した、「スッタニパータ」(ブッダのことば、岩波文庫、1984年)と「ダンマパーダ」(真理のことば、その一部が法句経、岩波文庫、1978年)だげが、ブッダ本人の言葉でしょう。私は、中村元が、東大を定年退官してから、本当に自由になって、「お釈迦様の本当の言葉、教えは、これだけなんだ」と、激しい真実暴露をやったことの凄(すご)さを、今更ながらに思います。

私は、あのころ学生で、友人の東大生に、「久我山(くがやま)に、中村先生が住んでいるから、遊びに行かないか」と誘われたことがあるのです。そのころ、私は、その東急井の頭(いのかしら)線の久我山のアパートに住んでいたのです。故・中村元に会いにいっていればよかった。あの頃、中村元が与えた日本の仏教界の各宗のインテリ理論家たちに与えた衝撃は、ものすごく大きかったのだと思います。

(引用貼り付け終わり)

菊地です。その他には、今日のぼやき「779」があります。
そこから引用します。

(引用貼り付け始め)

From: "副島隆彦" GZE03120@nifty.ne.jp
To: *************
Sent: Tuesday, January 10, 2006 5:31 AM

****寺
****さまへ

 ……

 その他に私の手に入る代表的な仏教学の入門書は、東大仏教学者の権威なのに、どこか主流からはずされている感じがつきまとう故・中村元(なかむらはじめ)の『ブッダの言葉』などの本です。そのほかには、二、三人の東大の仏教学の権威のような教授たちの仏教理解があるようで、それはインド伝来の経典(きょうてん)の文献に当たりながら、詳しく検討している本です。

(引用貼り付け終わり)

菊地です。以上の内容をふまえて、中村元の「私の履歴書」から引用します。
大変長いので、まずは戦前編と題し、戦時中に三十代半ばの中村元が
東京帝国大学の助教授となるまでを取り上げます。
正直なところ、中村元の研究生活はそこからが本番なのですが、
だからといって、内容が薄いわけではない。
一高や東京帝国大の出雲人のネットワークの一端が見えて面白い。
中村元がなんとなく主流から外れているように感じられるのは、
ひょっとするとこの「出雲」が原因なのかもしれない。

白川静・中村元・梅棹忠夫・梅原猛著『私の履歴書――知の越境者』
(日経ビジネス人文庫、二〇〇七年)の「中村元」から引用します。

(引用貼り付け開始)

■私の学問――「仏教源流から学べ」

 ひと月前に二・二六事件が起き、中国大陸でも不穏な情勢が広がりつつあった昭和十一年三月、東京大学の印度哲学科を卒業した私が、宇井伯寿先生のお宅に伺ったときのことであった。
 ……
「仏教研究者が最初から仏教の研究に入って行くと、なかなか古来の宗派の立場に立った教義学の考えから脱出できないものである。学者は、若いうちにはその源流であるインドの思想を研究して、視野を広くしておくと、仏教を客観的に見ることができる。日本の学者であるならば、かならず後には伝統的な仏教を手がけることになるから、若いうちにはインド思想の勉強をするがよい」と。
 ……
 そして研究の第一歩としては、インドの本流の哲学思想であるヴェーダーンタ哲学を手がけるように勧められた。
 これが私の学者としてのその後の歩みを定めた、本質的な方向づけであった。
 ……
 学界の区分では、私の専門はインド哲学ということになっているが、「インド哲学」というと難解生硬な述語をそのまま用いる学問と世間では考えられているので、自分では専攻を「インド思想史」としている。 …… 思想を動いている生きた社会に即してとらえるためにはこの方が良いと思う。
 もっと漠然と「インド学者」と呼ばれることもある。 …… ときには「インド哲学者」と呼ばれることもあるが、これは日本独特の名称であり、外国にはない。
 仏教研究は当然そこに含まれるので、ときには「仏教学者」と呼ばれることもある。「仏教」についての概説書は邦文で書いたことはほとんどないが、外国の百科全書などに外国文で書いたことはしばしばある。その主な理由は外国の監修者・編集者は、「インド哲学」という題目だとインド人の学者に依頼するので、日本人の私には、仏教を、というわけであるらしい。
「宗教学者」と呼ばれることもある。なるほど …… 日本宗教学会の …… 現在は監事として、 …… ハンコを押すだけの仕事はしている。わが国ではいつのまにかインド学・仏教学の研究と宗教学の研究とは別々のムラで行われるようになってしまったが、これは残念なことだと思う。
 近年には「哲学者」と紹介されることもある。なるほど私は …… パリに本部のある「国際哲学会」の称号会員でもあるが、日本では哲学とインド哲学ではムラが違うのである。これも、日本だけの現象である。
 ……

■松江と中村家――幕末、国学師範の祖父

 祖先以来の土地である島根県の松江は、少なくとも幕末のころには学問を重んずる傾向があった。明治の初年、全国十ヶ所に効率の図書館が初めて設けられ、それを「書籍縦覧所(しょじゃくしょうらんじょ)」と読んだ。書物をほしいままに読めるところの意である。
 半分の五ヶ所は「武蔵の国」にあり、残り五ヶ所が全国に散在していた。そのうちの一つが出雲国の松江の殿町にあり、そこに洋書二千冊余があったという。驚くべきことである。恐らくフランス語の書物が多かったのではなかろうか。松江藩は幕府方でフランス人教官を招へいしていた。その図書館のある殿町、それが私の生まれた場所である。
 ……
 私の家には母が大切にしていた若干の文書があった。 ……
 その文書によると、第一代の中村重義は、初代の松江藩主・松平直政が松江城に移ったときに、家老朝日丹波の越前時代の旧臣として召しかかえられ、与力として百石を給せられたとある。七代目の中村理助は砲術に熱心であり、隠岐島の警護を命ぜられたという。
 私の祖父にあたる第八代の中村秀年は、藩主の側近でもあり、また幕末には藩校・修道館で国学を講義していたという。恐らくそういう関係であろうか、私の家には、賀茂真淵の書と、本居宣長の賛をした寿老人の図が伝わっていた。 ……
 ……
 中村秀年は、廃藩置県ののち、中央政府から県令(いまの知事)が派遣されるとともに免官となった。帰農しようと思っていたら、ある日突然、川本の郡長の辞令が来た。……
 秀年は、郡長を歴任し、鳥取県が独立する以前には島根県の支庁長となったこともある。
 ところで出雲は出雲大社を中心として神道の伝統が強く、藩士たちは浄土宗か禅宗が圧倒的に多かったのに、私の家は珍しく代々浄土真宗である。なぜか分からなかったが、浄土真宗の信徒列伝である「妙好人伝」を読んで、初めて事情が分かった。
 そこに登場する信徒は全部庶民であるが、ただ一人の武士として、出雲の「神谷備後」がいる。家老であった神谷家の先祖神谷源五郎は大阪の陣で鉄砲の弾丸を受けたが、母から授けられたお守りの阿弥陀仏の画像が破れて、本人は傷つかなかったという。それkらますます念仏の信仰を厚くしたと記されている。中村家はその配下であり、祖父は神谷家の先祖の命日にお参りして、仏壇の前で倒れた。
 こういうわけで中村秀年は、真宗の真光寺の檀家総代であるとともに、氏神・田原神社(春日神社)の氏子総代でもある篤信の人で、晩年は後輩の育英にも尽力した。旧幕時代からの生き残りとしては幸運であったが、しかし不運な面もあった。子どもたちが夭折したのである。そこで姪である私の母を養女にした。
 ……

■父と母――保険数理の“草分け”

 …… 私の父・中村喜代治は旧姓を加賀といった。明治十三年十一月三十日の生まれで、香川県財田町の梅ノ塔の出身であった。 ……
 丸亀中学を出て、六高に入り、第六高等学校長の岡野義三郎先生の推薦で、松江の県立農林学校の助教諭となった。その間に養子の話がもち上がった。しかし、父はなかなか決心がつかなかったらしく、手間どった。 ……
 晩学の人を迎えてくれる学校は、東京にはあまりなかった。たまたま母の義兄・数藤斧三郎(一高の数学教授)が物理学校を勧めてくれたので、そこへ入学した。 ……
 父は卒業後、保険会社で数理統計を担当するアクチュアリーとなった。 …… 「日本アクチュアリー八五年史」のなかに ……
「喜代治は物理学校卒業後、八千代生命、日華生命で職を奉じた。大正五年『生命保険数理一斑』、大正四年『生命保険数理教程』、大正十五年『生命保険数理の話』等、保険数理に関する多くの著書を残している。これら保険数理の著書は類書の草分けといわれている」とある。
 父は …… 昭和十二年七月十八日に亡くなった。

■小学生のころ――誠実そのものの担任

 松江市の中心である殿町には島根県庁や松陽新報があったが、その前に母の実家・高橋の邸があった。私は大正元年十一月二十八日に、そこで生まれた。
 誕生日がたまたま親鸞聖人の命日であるというので、母の義兄・数藤斧三郎は私に「信一」という名をつけたらどうか、と勧めた。しかし、父は私に「元(はじめ)」と命名した。 ……
 生まれてまもなく東京へ連れてこられた。大正二年のことであったと、何かの記録で見たような気がする。
 住んだのは祖父や叔母の住んでいた本郷町西片町であった。そこは静かな雰囲気の住宅地であって、東大や一高の教授たちの邸の多い学者町であった。
 ……
 弟三人は東京の西片町で生まれ、同じ誠之小学校を出た。すぐの弟・中村亨は、国学院大学を出て長く教員をしていたが、先年病没し、その次の中村直は、東大獣医科を出て、農林省の官吏となり、のちに獣医を開業している。末弟の中村進は東大経済学部を出て日本銀行に入り、営業局長、理事を経て退き、日本輸出銀行の副総裁をしていたが、現在は日本興業銀行顧問として、ずっと銀行マンで通してきた。

■一高入学――独特、哲学の岩元先生

 いろいろの問題はあったにせよ、まだ日本が全体としては平和を楽しんでいた昭和五年四月に、私は第一高校学校文科乙類に入学した。 ……
 私が文乙でドイツ語のコースを選んだのは、当時の日本の哲学界はすっかりドイツ哲学の影響下にあり、学問はドイツ、と考える風潮が強かったからである。
 ……

■一高の生活――心暖かな須藤先生

 一高在学中に学問的には諸先生方からいろいろと影響を受けたが、私の学問の骨格をつくって下さったのは、須藤新吉先生と亀井高孝先生である。
 須藤新吉先生は心理学や論理学などを教えていられたが、ご著作『ヴントの心理学』や『論理学要綱』は標準的な名著として数多くの版を重ねた。 ……
 論理学の講義では仏教の論理学、すなわち因明(いんみょう)に言及されたこともある。 …… さらに私が後年、民族による思惟方法の相違の問題に深く心を囚われたのは、先生のブントの『民族心理学』についての研究による暗示もあった。
 ……
 ドイツ語をブルーノー・ペツォルド先生から習ったことは、私にとっては大きな意義を持っている。 …… 先生自身が仏教徒で仏教教理に関する多数の論文があり、昭和三年九月三十日には、天台宗から大僧都の位を受けられた。

 ところで私は …… 公教育の場面で仏教の話を聞いたのは、ペツォルド先生からドイツ語で聞いたのが初めてであった。ドイツ語を通しての仏教――それが私の将来の仏教理解、叙述に影響した点は大いにあると思う。
 在学中には寮歌を高吟するほどの気持ちにもならず、本を読んだり、いろいろの文化関係の会にも出た。仏教関係の唯一の会として当時、ジュゴウ会(菊地注.ジュゴウは難字ゆえ変換できず)という日蓮宗の会もあったが、マルクス主義者たちに乗っ取られていた。しかし史談会という歴史の会は、当時も、そののちも正常に活動し、楽しい思い出となっている。
 文乙のクラスは三十六人であった ……

■東大印度哲学梵文学科――奥深さ・暖かさ感じる

 漠然と哲学的な思索探求を進めるというのが、青年時代の私の傾向であったが、西洋の哲学思想には何かしら冷たいものが感ぜられ、全身を打ち込む気にならなかった。奥深いとともに暖かさを感じさせるインドから仏教への哲学思想が私の心をひきつけて、ついにインド哲学を志願するに至った。
 ……
 私が入学した昭和八年には、東大の印度哲学梵文学科には新入生が十七人あった。これは、当時のこの学科としては異例というべきほどの多数であった。そのわけは、当時、友松円諦師のラジオによる「法句経講座」などが非常に歓迎され、“仏教復興”ということが取り沙汰されていたからである。しかし青年の求めるものと、大学の与えるものには食い違いがあったらしい。三年たって卒業のときには十一人に減っていた。
 同期の人々は寺院の住職になったり教員になったり、進路はいろいろであったが、同期の古田紹欽君は、鈴木大拙博士のあとを受けて、松ヶ岡文庫長となり、諸方面に活躍している。若林元典君は駒沢大学図書館長となった。一期下には為郷恒淳君(読売新聞副社長)や白川良純君(全国青少年教化協議会事務総長)がいた。
 ……
 教授陣は、宇井伯寿先生が主任教授で、洋行帰りの長井真琴先生が教授に昇任されたばかりで、パーリ語や原始仏教を教えておられた。助教授では宮本正尊先生が主として大乗仏教を、福島(のちに辻と改姓)直四郎先生がサンスクリットを教えておられた。講師としては、飄々たる仙人の風格ある池田澄達先生がチベット語の手ほどきをされた。
 ……
 インド哲学の研究室は、図書館の一階の一室しかなくて、諸先生や助手が座ったら、もう学生の発っている場所も無い。幸いに諸先生が一度にそろう機会はまれであった。先生のおられないときに、学生は出入りするという状態であった。しかし、この分野では、東京大学はしにせであり、図書館には多年にわたって集めた書物があったので、やはり日本一の充実した内容を持っていた問いえるであろう(菊地注。東大付属図書館は西暦1923年(大正12年)に関東大震災で全壊し、ロックフェラー財団が再建資金400万円を出した。同財団は西暦1961年(昭和36年)には図書館近代化資金8400万円を出している)。
 むろん当時にも存在していた多数の仏教系の諸大学は大陣容を擁していたが、それらは各宗派の伝統的教学の研究が中心であり、原典研究による学問は、当時は国立大学の方がはるかに進んでいた。
 哲学の方面では、伊藤吉之助先生、出隆先生らの講義が感銘を与えるものであった。 ……
 当時、印哲を卒業しても就職のあては全くない。私の場合も …… 教員免状に必要な単位を取得した。これは大きな負担であった。
 しかし卒業間近になって宇井先生の意向もはっきり私には分かったし、亀井先生から「二またをかけることはやめた方が……」と言われたので、とうとう教員免状はとらなかった。
 ……

■宇井伯寿先生――門弟に深い思いやり

 恩師宇井伯寿先生は、実にわが国におけるインド哲学の研究を、世界的水準というよりも、ある面では欧米諸国よりもはるかに高度のものに高めた方であった。
 先生は明治十五年六月一日、愛知県に生まれ、六歳で厳父を失い、十二歳のとき曹洞宗東漸寺大原活山老師の弟子となられた。
 明治四十二年に東京帝国大学哲学科を卒業し、大正二年にドイツ、次いで英国に留学された。英国滞在中、ロンドンの王立アジア協会から「勝宗十句義論」の英訳を出版されたが、これはインド古代に自然哲学を説いたヴァイシェーシカ哲学の一つの古典の研究で、世界的に高く評価された。外国で出版された、どのインド哲学史を取っても、先生のこの書に言及しないものはないというほどである。
 大正六年に帰国後は、東北大学を経て、昭和五年に東京大学教授となられ、『印度哲学研究』全十二巻をはじめ、『印度哲学史』『禅宗史研究』『支那仏教史』などを次々と刊行された。駒沢大学学長なども務められたこともあるが、昭和十八年に退官後は『日本仏教概史』、そのほか多くの大著をまとめられ、ここにインド、中国、日本にわたる三国仏教通史の大組織が完成したのである。 ……

■和辻哲郎先生――満場酔わせる名講義

 和辻哲郎先生が退官されるとき、当時の文学部長高木貞二氏は「先生は文学部を重からかしめる教授でいらっしゃった」と公にあいさつされた。だれも異論はないであろう。
 先生は、私が文学部の第二学年のときに京都大学から転任して来られた。その年の夏、一高時代の恩師亀井高孝先生のおすすめとご紹介により、本郷西片町のお宅にお訪ねし、以後二十七年間にわたって温情あふれるご指導にあずかった。
「倫理学概論」の講義を大教室でされたが、 …… そのときのノートが大著『倫理学』となったのであるが、退官と同時に『倫理学』三巻の刊行が完結した。 ……
 先生は、演習ではヘーゲルの『法哲学』を読んでおられたが、関係代名詞などについては少しもゆるがせにしないで、厳密に検討された。
 日本倫理思想史の演習で言われたことは、今でも耳の奥に残っている。――学者は特殊な、珍しいテキストを取り上げて、鬼の首でも取ったかのようにして、それを論ずる。しかしありふれた古典の中から思想をえぐり出すことが必要ではないか、と。そこで『平家物語』や『徒然草』などを材料として倫理思想を解明しておられた。
 先生の親友・亀井高孝先生が、「和辻の本領はクルトゥール・ヒストリカー(文化史家)なんでね……」と言われたのを思い出す。 ……
 ……
 初めてお目にかかったときに、先生は「まぁ、自分で納得のいくようにやってみませんか」と言われた。それは、世の仏教学者が自分でも分かっていない術後や教理をもてあそんでいたことを批判されたのであった。
 和辻先生は仏教研究においても卓越した業績を示している。京都時代に原始仏教を研究され、『原始仏教の実戦哲学』を著された。 …… この書の最大の意義は、個別的な新成果、新研究ばかりでなく、原始仏教思想というものを、一般の哲学研究者の関心のうちにもたらしたということである。
 同様に、日本精神史上における道元禅師の高潔な人格と深い哲学思想も、和辻先生の「沙門道元」という論文によって、一般知識人に初めて知られるようになった。道元の言行を録した『正法眼蔵随聞記』も、以前には一部の専門家の間にだけ知られていたにすぎなかったが、先生の研究と校訂出版によって、あまねく世に知られるようになったのである。
 ……
 昭和二十七年に …… 和辻先生は講演に来られたが、そのときに言われた。「西洋では、一貫した思想史がチャンとできている。ところが東洋についてはそれができていない、それをまとめてもらいたい」と。それからでもすでに三十余年、私はいまだ自分の体系的叙述のできていないことを恥じるものである。

■大学院生活――家手放す困窮の日々

 大学院に入ると、宇井伯寿先生の指導のもとに、インドの諸哲学派、ことにヴェーダーンタ学派の哲学の研究を主とすることになった。インドには多くの哲学学派があったが、主流をなすものはヴェーダーンタ哲学であり、それを研究すると、やがてインド思想全般に研究を及ぼすことができる、という先生の配慮からであった。
 ……
 大学院に入って間もない、昭和十二年に盧溝橋の事件がぼっ発すると、すぐ松江の六十三連隊に召集された。 …… 外地へ出征することになり、神戸の港まで来たが、よほど弱っていたらしく軍医に見つけられ、姫路の陸軍病院に入れられ、数ヶ月後に解除になった。 
 間もなく学校に戻った。研究のほうはそれでもともかく少しずつ進歩した。

 やがて先生方が相談されて、私の研究を学位論文として提出せよと言われた。文学博士という学位は、七十、八十にならなければもらえないものと相場が決まっていたのに、これは、耳を疑うような破天荒なことであった。
 先生方の好意で岩波書店が刊行を承諾したが、戦時中であり、どうにもならず、長い間放置された。 ……
 戦後の荒廃から脱出して、ようやく回復のきざしが見えはじめた昭和二十五年に、右の『初期ヴェーダーンタ哲学史』第一巻が刊行され、第四巻が三十一年に出て完結した。 ……
 この書の部分部分は、英文で二十五の論文として海外の学術雑誌に発表したが、ハーバード大学インゴールズ教授のお世話でハーバード・イェンチン研究所(菊地注.これもロックフェラー系である)からの資金によって全訳され、イギリス人レゲット氏が最終的に文章を直し、その第一巻はデリーのモチラル書店から一九八三年(昭和五十八年)に刊行された。

■結婚――親の決定、妻否応なく

 戦時中の昭和十八年三月末日をもって、わたしは東京帝国大学助教授に任ぜられ、インド哲学を講義することになった。若い助教授というだけでも異例であったのに、文学博士号というのは驚きであり、東大新聞に記事が出てしまった。
 ……
 ところで、任命されても、ろくに講義はできなかった。戦時中で学生諸君は学徒動員で軍隊に引っ張られ、残っている諸君も勤労奉仕で工場や農村へ行った。
 この混乱のさなかに、私は結婚した。母や弟たちをかかえて、過程がどうにもならなかったときであった。
 妻、洛子は、野津高次郎の二女である。両親共に出雲の出身で、中村家と直接の交際はなかったが、良家共通の友人、知人が多く、あっさりと決まった。

 野津高次郎は大蔵省の役人で、のち日本興業銀行の監事などもしたが、学者肌で、『米国税制発達史』『独逸税制発達史』の著書があり、この二冊で津京帝国大学から経済学博士の学位を受けた。一つには、金に円のない、こんな仕事をしているのは感心だと、野津の一高以来の同期の友人、大内兵衛先生が計らってくださったらしい。
 洛子の母、野津礼子は、「日本最初の建築家」と評されることのある山口半六の娘である。半六は旧幕時代に松江でフランス人についてフランス語を勉強し、パリに留学して帰ってからは、上野の奏楽堂、各地の高等学校の校舎などを建て、若干の建物は名古屋郊外の明治村に保存されている。
 ……
 話をまとめられた媒酌人は、高次郎の恩師、西村房太郎(のち東京府立一中校長)で、私の祖父とじっこんであった。東京帝大の初期のころの西洋史の出身で、漢詩に秀でた風格ある方であった。
 ……

(引用貼り付け終わり)

菊地です。この後の昭和二十五年、中村元はスタンフォード大学に
客員教授として招待され、以後、海外のアジア学者たちと交流を深めていく。
以降は次の投稿で行うが、先に一ヶ所だけ紹介する。
『思想の科学』の鶴見俊輔・和子夫婦が中村元をアメリカへ
(ロックフェラーへ!)紹介したそうである。

(引用貼り付け始め)

■「東洋人の思惟方法」――両極に分かれた評価

 戦時中の昭和十八年のことであった。伊藤吉之助先生が「諸民族によって異なる思惟方法」の共同研究を主宰され、私にも参加するようお薦めがあり、ゲートルをつけたまま学士会館や哲学研究室で論議を重ねた。
 この共同研究は敗戦とともに消滅したが、私は興味あるテーマだと思って、その後も追求をつづけ、二十三年に『東洋人の思惟方法』二巻として刊行した。 ……
 その趣旨は、判断推理の表現形式が、諸民族によって異なるということ、また本来普遍宗教であるはずの仏教がいずれかの民族に受容されると、やがて変形してしまうという過程に、それぞれの民族の伝統的思惟方法のはたらいていることを、インド人、中国人、チベット人、日本人について比較論証したものであった。
 この書は一部の読書人には衝撃を与えた。相当多くの人々が歓迎したが、専門家たちの間では評判の悪い書であった。「評価が両極端に分かれますね」と言われたこともある。
 しかし私は、やはりこの書を刊行しておいてよかったと思う。東大を退官後、無位無官無職でなんとかやって来られたのは、当時この書を読んで共鳴された人々がやがて有力者となるにつれて、私を社会的に支持され、協力されたためである。
 この書に思想の科学研究会の鶴見和子、鶴見俊輔、そのほかの方々が興味をもたれ、ロックフェラー財団からの援助もあり、一部分が英訳され、アメリカの知識人たちにも紹介された。それがスタンフォード大学から招待を受ける端緒にもなったのである。また私自身も、大西洋を渡る貨物船の中で、荒波にゆられながら一部を英訳し、それが後日アスペンで開かれた中国思想委員会で印刷配布された。

(引用貼り付け終わり)

菊地研一郎拝